金子 雄二 ((有)フローラワールド)

『戦略の本質』 ―― 戦史に学ぶ、逆転のリーダーシップ ――


野中郁次郎、戸部良一、鎌田伸一、寺本義也、杉之尾宣生、村井友秀著、日本経済新聞社発行
2005年08月05日、1刷、375ページ、2,200円+税


野中先生の本をここで紹介するのは、これで4度目である。最初は雑誌ジャーナルの「失敗の本質」(2001年、春号)で、オンラインジャーナルとなって今年の「イノベーションの本質」(2005年4月号)に繋がっている。これらの共通項が何故か、「・・の本質」であり、共著である。更に、取り扱う題材に対して多くの代表的事例(時には戦争であり、企業活動等)からその本質を究める考察がなされている。そして、その本質を非常に分かり易く、我々素人でも容易に理解できるレベルに合わせて丁寧に書かれている。だから良書として、学生やビジネスマンから経営者までの幅広い読者層に、いつまでも読まれている。特に、先の「失敗の本質」が発行されたのは1984年(昭和59年5月31日、初版)であるが、現在読んでも全く新鮮味が失われていない。本当の本質(?)を極めているからであろうか。共著について野中先生は、面白い試みをされている。戦争の纏めに関しては多くの方々と、企業に関するものは二人で書かれるケースが多い。確かなことは、先生にお聞きしなければ分からないが、戦争物はそれぞれの専門性を深める意味で人数を多少多くして、その論議の過程から本質を求められた。企業物は、相手を特定して相互の持ち味を活かす方法(ジャムセッション:ジャズ演奏でアドリブを活かす)で論点の幅を広げる努力をされたのではなかろうか。先生は元JPMF名誉会長なので、一度機会があったらお聞きしたい。

今回の本の題材は、副題にもある通り戦争史から学ぶ戦略の本質である。戦争といっても、ここ第二次世界大戦から朝鮮戦争やベトナム戦争と未だ記憶に新しいものも含まれている。これらの戦争から、戦略の本質を求められた。というより副題にある逆転のリーダーシップを導き出された。「何故、今戦略なのか」については別項で詳しく書くが、ポイントは逆転のリーダーシップと大いに関係ある。過去の戦争の例から戦略とリーダーシップの関係を解明された。それも戦略をもって、逆転という状況を生み出したリーダーシップのあり方にスポットあてた。戦争は、プロジェクトマネジメント(PM)ではない。しかし、大きな意味で戦争の戦略や戦術を通して、PMとして学ぶべき点が多いと考えて取り上げてみた。「賢人は歴史から学び、凡人は経験から学ぶ」という言葉があるが、PMの参考にしたい。

戦略のメカニズム ―― 戦略にはヒエラルキー(階層)がある! ――
戦略をヤフーで調べると、 戦争に勝つための総合的・長期的な計略であり、政治・社会運動などを行う上での長期的な計略とある。具体的・実際的な「戦術」に対して、より大局的・長期的なものをいい、「販売戦略を立てる」といった時にも使われる(大辞林より)。現在は戦時下ではないので、ビジネス上で戦略が論じられるケースが一般的である。ここで戦略とはどんな仕組みになっているのかを学問的に解明している。先ず戦略は、ピラミッド型の階層となっていることを理解すると、戦略と組織や人との関係が色々と明快に分かってくる。この本では5段階のレベルに分類して説明している。トップ・レベルは大戦略である。ここでは国家理念(目標、価値)、国益等が論じられ、政治的なリーダーシップが求められるものである。だからこの戦争の事例として、毛沢東の長征(1934年10月から1938年の抗日運動)、チャーチル首相のバトル・オブ・ブリテン、マッカーサー元帥の朝鮮戦争、サダト大統領の第四次中東戦争がどんな戦略をもって戦ったのかを参考にしている。ごく大雑把にいうと、国家理念や国益が明確に位置付けられ、リーダーがそれをもとに戦った戦争は確実に勝利している。スターリングラードの戦い(1942年6月から1943年2月)のドイツ軍、ベトナム戦争(1964年末から1968年10月)のアメリカ軍は、逆な理論(敗戦側)として裏付けられる。次のセカンド・レベルは軍事戦略である。大戦略の理念を踏まえて、戦争遂行能力や軍事的合理性の追求のために政治はどう優位性を保つか。また戦いの場や軍隊の特性を生かして、戦争に如何に勝利するかを徹底的に考える。ここまでの戦略が、政治レベルの判断が入る国家戦略である。全てはこの戦略が勝敗を決する。

サード・レベルが作戦戦略である。戦略に従った具体的な作戦計画である。このレベルは、職業軍人である戦争スペシャリストの分野である。複数の戦術単位の配備や指揮運用能力が問われる。この中には、正面攻撃だけでなく策略的な陽動活動やスパイ活動も含まれる多面的なものである。フォース・レベルが、戦術である。いよいよ実戦であるが、戦闘遂行能力を発揮するに際して、手持ち兵器システムが機能するか、兵士の技能・錬度・士気は十分か等々、師団・部隊の組織別・戦闘地域別に詳細な計画が、本部から前線に伝達される。最後のレベルが、技術である。兵器・兵器システムの質的拡大化が可能であるか。これは攻撃力と防衛力、質と量のトレードオフである。即ち、攻撃と防御が両立出来ない場合は、戦局上からどちらを優先する方が最も有利な闘いとなるか。双方の戦力分析から、兵器や兵士の物量や技量のどちらが有利なのか。どこまで戦術が実行・持続できるのか。勝てるのか勝てないのかの現場判断が求められる。これらの情報が、下の戦略レベルから上位レベルに迅速に伝えられ、その場の判断が下位レベルに同時に上位レベルに伝達される。こうした有機的な連動が、刻一刻変化する状況を正しく掴み判断することが戦争の勝敗を左右する。このヒエラルキーをPM組織にあてはめて考えると、トップ・レベル=経営層、セカンド・レベル=PMO組織、サード・レベル=プロジェクト・マネジャ、フォース・レベル=グループリーダー、最後のレベル=開発スタッフとなる。現在、PMで最も必要とされているが欠如している戦略レベルは、トップの経営戦略とPMマネジャーとの連動である。経営理念を反映したPMが、プロジェクトを成功させ開発スタッフを成長させている。

戦略の本質とは ―― 戦略の命題から本質に迫る!! ――
戦略は戦争(企業経営も含めて)に勝つためのものである。然らば、その本質とは、何であろうか。戦略論は、古今東西色々ある。しかし、どんな科学的アプローチをしても、その戦略を判断して実行するのはリーダーである人間だ。だが、戦略の本質に迫る方法として、出来るだけ客観的事実からリーダーとしての人間の主観的部分にアプローチをすべく規範的命題を挙げ考察したという。主観と客観の往復運動を通じて複眼的に本質を探る努力をされた。この戦略の本質に迫る命題は全部で10例もある。ただ、命題のタイトルだけで戦略の本質を理解することは難しいので、多少説明が必要だ。とても全てを紹介でないので、興味のある方は本書を買い求めて戦略の本質とPMとの関係を解明されたい。先ず、『戦略は「弁証法」である』という命題である。これは一番難しい命題だ。前回紹介の著者の本「イノベーションの本質」でもこのことが盛んに出てきた。ヘーゲルの弁証法をあてはめると、戦略は「正」「反」「合」のプロセスを生成発展することになる。これは戦略の各レベル間の相互作用から関係する矛盾を総合するのが戦略の本質であるという。具体的事例として、毛沢東の長征における紅軍の戦いを挙げている。毛沢東の戦略的ゲリラ戦が、資源の質・量共に豊富な蒋介石の指揮する国民政府軍に勝利した。これは、ゲリラ戦の本質が決して負けないが、決して勝てない矛盾である。正規戦とゲリラ戦が二項対立で「正」と「反」である。それに対して、戦略的に組織化されたゲリラ戦が「合」である。事実、毛沢東の紅軍は、物量的に圧倒的不利な国民政府軍を破った。ゲリラ戦で敵を根拠地に誘い入れて戦えば、固定した戦線と兵站を持たなくても勝てることを証明した。そこで、毛沢東は弁証法を戦略に取り入れ、自ら実践して「矛盾論」をこの世に書き残した。

他の命題に、『戦略は真の「目的」を明確化できる』『戦略は時間と空間とパワーの「場」の創造である』『戦略は「人」である』等々があり、或る程度言わんとしていることは想像できる。しかし、『戦略は「賢慮」である』というのが最後にある。これも難しく少し説明しないと理解できない。先ず「賢慮」であるが、文字通り「賢明な考え、すぐれた考え、 他人の思慮を敬っていう」語なのだが、それだけの意味なのであろうか。著者がこの命題を最後に持ってきた本当の狙いは、戦略の本質的概念が政治的判断力であると考えているからである。この政治的判断力は、リーダーシップとして国家や組織や人を動かす。その結果、戦略を通じてビジョンを位置付け、目的を正当化して組織のパワーを総動員して未来を創造していくと書いている。戦略論を突き詰めていくと、その戦略を策定・実行するリーダーシップ論にも関係してくる。どんなに優れた戦略でも、それを指示・命令する各階層のリーダー(政治体制を含めて)が共振・共鳴してはじめて国家を含む組織が機動的に運営される。この本で取り上げられた戦争の指揮官は、全て賢慮型リーダーの部類に入る。そして戦略の本質は、存在を賭けた「義(justice)」の実現に向けて、状況に応じた知的パフォーマンスを演じる賢慮型リーダーシップの体系を創造すると著者は結んでいる。

なぜ今戦略なのか ―― 戦略の必要性を考える!!! ――
この「何故、今戦略なのか」については、2つの視点から書かれている。一つは、先の「失敗の本質」で日本軍の戦略的な失敗により、逆転の可能性を見逃してしまった戦略不在に関する「戦略とは何か」というもの。もう一つは、「何故、今」である。そして両方を合わせて、現在の日本に最も求められている「逆転のリーダーシップ」を説いている。然らば、大東亜戦争(1941年12月から1945年8月)に於ける、逆転のタイミングとは何であったのか。一般的には戦局の大きな変化がそれに当たる。本書では、1942年6月のミッドウェー海戦での海軍の大敗、1943年1月のガダルカナル島の撤収、1944年6月のマリアナ沖会戦での完敗、1944年8月のフィリピン方面での決戦等の各局面で冷静に考えればチャンスはあったという。然しながら、日本陸軍は日露戦争での勝利経験から、物量戦で敗れても精神力(白兵銃剣主義)を妄信した。その結果、戦争の敗勢を挽回するための方策(作戦)は、特攻隊による玉砕作戦しか実行されず、敗戦へと向かっていった。その戦争の道筋を振り返ってみると、日本軍は開戦にあたって事前に綿密なシナリオを描き、周到な準備を重ね、敵の準備不足と不注意に乗じて大きな戦果を挙げた。しかし、その後敵が日本軍のシナリオにはない行動に対して、効果的な対応行動がとれなかった。これは戦略不在を意味し、先の敗勢を挽回出来なかったのも象徴的なことである。従って、日本軍が逆転出来なかったのは、戦争全体に対する戦略が無かった結果を考え、改めて「戦略の本質」からその重要性、必要性を考察している。

ここまで「戦略の本質」を詳細に書かれたが、「何故、今逆転のリーダーシップなのか」が実はこの本のポイントである。戦後日本の経済的復興と目覚しい経済発展は、世界に例を見ないほど素晴らしい成功を収めている。これは、日本の国家戦略、或いは日本企業の様々な組織戦略の成功の証であるという。1980年代台まで経済大国として、アメリカと共に世界経済を牽引してきた「日本的経営」があった。しかし、バブルが弾け「失われた10年」と言われる戦略不在の時代となってしまった。これは正に「第二の敗戦」に匹敵する状態である。これは先の「失敗の本質」からみた、自信喪失、敗北感に打ちひしがれた状態に似ている。この「失われた10年」を敗戦と捉えて、戦後復興の勢いから「逆転」することは十分可能である。そのために戦略の本質をもう一度見直す必要がある。そして高度経済成長を遂げた時の誠実な努力と周到な準備を持った戦略で、勢いを取り戻すことを期待している。国家的戦略と企業における組織戦略から逆転のリーダーシップこそ、現在の日本で最も求められていることである。だからこそ、ここで「戦略の本質」を見直したのである。「戦略の本質」とリーダーシップに関しては、PMに於いても同じことが言える。先般の、シンポ2005「革新と進化のためのプロジェクトマネジメント」(強い個と強い組織)でも、組織とPMのシッカリした戦略の必要性が語られた。組織は人を育て、人は組織を支えるからこそ、企業は発展する。PMはそれを最も試される「場」なのである。

 (以上)