ダブリンの風(108) 「コンテキスト2」
高根 宏士: 8月号
以前(2007.1)、コミュニケーションにおいて重要な役割を果たすコンテキストについて書いたことがあった。今回はコンテキストの重要性についての認識を持たずに自分の思いを通そうとしてうまくいかなかった例を挙げて考えてみたい。
あるところに優秀なソフトウエアエンジニアがいた。彼は虫のないソフトウエアを作ることについては日本で一番だと思っていた。彼を知っている人たちから見ても確かに優秀であり、作ったコードはほとんど虫のないものであった。
若いころ或るシステム開発プロジェクトに参加し、プロジェクトマネジャーから大変信頼され、ソフトウエアの品質管理を任された。そして見事にその役割を果たした。彼の存在は組織の中で非常に大きくなった。誰もが次のリーダは彼だろうと思った。そして予想通りリーダになった。
ところがリーダになってみると、彼のプロジェクトは暗く、チームは彼の言うことを聞くだけの能吏と彼に干されて、何もしない不満分子に2分された。彼に言わせれば、できる人間とできない人間であった。彼の上司はこのような事態を心配し、いろいろ忠告したが、その頃は彼の自信も絶頂にあり、聞く耳を持たなかった。そのうち上司は左遷され、彼の天下は続くかに見えた。しかしそのうち、周りの人間が離反し始め、外注の立場にあったベンダー企業の人間も離れていった。彼を支えていた能吏も、もはや支え続けることはできないといって匙を投げてしまった。このとき手を差し伸べ、ポジションを探してやったのは前の上司であった。しかし彼は今もってそのことを知らない。
何故彼はリーダとして失敗したのか。それは彼のコンテキストが非常に狭かったからである。彼は「虫のないコード」とその元になる仕様の形式的言語の正確性にしか価値を認めなかった。したがって顧客に対しても、外注に対しても、プロジェクトメンバーに対しても、この視点からしか見ようとせず、他の視点からの見方を認めなかった。そして自分の視点からの見方をとことん主張していった。部下は彼ほどロジックに強くはなかったし、また視点を変えたいと思ってもその視点を認めてもらえないので、黙らざるを得なくなっていった。
彼は上司に対しても自分の視点から以外、一切聞こうとしなかった。しかし上司には部下ほど傍若無人にはふるまえないため、何も言えなかった。それは彼が上司のコンテキストを理解しようとしなかったために突破口を見つけることが出来なかったからである。
また顧客へのシステム提案をするときも、詳細仕様の字面にこだわるあまり、提案としては魅力ないものになり、またその説明も機械的な言葉の羅列に終わってしまった。ちょうど恋人へのラブレターの文章を、詳細仕様書を書くような視点から書いていたようなものである。
彼は自分の視点(それも極端に低い)からのみ物事を律し、他を一切認めないため、部下の様々な能力、外注のいろいろなスキルを活用できず、顧客の説得もできなかった。何よりも周囲の共感的気持ちを作ることができなかった。個人としては類まれな能力を持っていながら、大きなコンテキストを認識することができなかったため、成果を出せなった。残念なことである。
彼の悲劇には、最初のプロジェクトマネジャーにも責任がある。それは彼に品質管理を任せたが、それ以前にシステムを納期やコストに合わせ、バランスを取り、またハードウエア構成も含めた性能問題等を解決し、しかも顧客の信頼と協力を得るという大事な部分をマネジャー自身でやってしまい、彼にその部分を経験させなったことである。これが彼の視点を低くし、しかも独善的にしてしまった遠因かもしれない。
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