理事長コーナー
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P2Mとコミュニケーション余談

PMAJ理事長 光藤 昭男 [プロフィール] :8月号

 中学の時も高校の時も同じでした。世界史や日本史の歴史のクラスは、必ず第二次世界大戦以降の章節は、「アトは、自分で読んでおきなさい」で時間切れでした。社会人にならずとも、産業革命辺りから近代史以降の事件・経験・出来事が、現代人に色々な知恵を授けてくれる意味で重要な「歴史」のコンテンツであるのに拘わらず、尻切れトンボとなりました。当然のごとく、アトは読みません。しかもこれは、自分だけでなく多くの友人も同じ経験を持っているから驚きです。歴史の先生方も、自分の学生時代には同じように「アトは、読んでおきなさい」と云われ、充分に勉強していないので判っていないから教えられないのかな、と穿った見方をしていたのを思い出します。

 この経験が尾を引いているのではないかという、似たような経験があります。どの本でも同じなのですが、読んでいる本が最後の章に近づくと、何度も残りの本の厚みを確認したくなり、内容を理解することよりも終わることに集中し始めるのです。当然、内容の理解は浅くなりますので、途中で読むことを放棄しても良いのですが、放棄しません。このように最後まで読破する事にも重きを置くのは、私だけではないようです。プレゼンや提案書のさまざまな指導書では、一様に結論を先に述べなさいとあります。これに従えば、このように後半で読む力が削がれたとしても、その本の重要な内容の理解に支障は生じません。小説家などは、私の様なせっかち過ぎる読者の性格を逆利用していると勘ぐり、特に最後が山場のサスペンス小説を読むことを避けるようになりました。それはこのような性格的な理由によるものです。いずれの場合でも、知識の獲得には、書き物の最後に大切な内容を配置しない方が良いだろうということです。

 さて、ひるがえって、「新版P2M標準ガイドブック」の最後の章は何でしょうか。すぐ内容を思い出せる人は、私と違う着実な人種だと思います。最後は、「第4部第11章コミュニケーションマネジメント」です。日本人は、ウチとソトの境界を無意識に強く感じ、実際にウチに対して身内贔屓な所作をすると指摘されています。「私の所属する会社」や「私の所属する大学」は、「ウチの会社」、「ウチの大学」と呼び、無意識のうちに内外を区別して身内を大切にしています。その「ウチの人」か「ソトの人」かを決めること、すなわち、未所属の人として一番厳しい評価を受けるのが、人生最大の難関(?)、就職活動、就活です。その就活において、企業側が求める最も必要とされる人材の資質・能力のうち、このところ断トツでトップに挙げられているのが、「コミュニケーション能力」です。その最重要とされている資質・能力について説明している章が、P2Mでは最後の章に配置されています。

 ご承知のことと思いますが、この第11章では、大きく3節に分かれています。まず、「プロジェクトマネジメント業務を遂行するための各種情報の配布・伝達」です。第二が、「コミュニケーションの基本事項、コミュニケーション能力の向上」です。第三が、「異文化コミュニケーション」です。

 この三要素は別々の節に記載されていますが、お互いに密接に関連していることは言うまでもありません。第一節の内容は、知らせるべき情報を、必要十分な質・量で、かつタイミングもよく知らせるべき人に知らしめることが重要であるため、情報の一元化、情報が変更された場合の適切な変更処置、マイナス情報を埋没させずに適切に伝達するなどが、必要なマネジメント要件だと述べています。第二節には、就活上重要とされているコミュニケーションについて書かれています。本質的にコミュニケーションは双方向性という特性があります。従い、発信する能力と受信する能力、さらに受発信側それぞれの異なる立場・組織文化を理解した上で行動に移せる能力が必要です。相対的な能力差が大きく効果に影響するので、「聞く力、感じる力」をベースに、「話す力、書く力、表現する力」に加え、「理解する力」が必要だということですが、どれも難しい課題です。第三節は、基本的に第二節の能力の延長線上にあります。異文化という自分の知識・経験を超える相手やその振舞いにどう対処するか、より文化のギャップが大きな関係者の間のコミュニケーションの問題です。

 最近のベストセラーの多くに、この第二節のコミュニケーションに関する how-to本があります。自分では判ってはいるけれど簡単には克服できない、多くの人が悩み、解決法を求めているということが、これらの売れ筋本から読み取れます。しかし、本当に「感じる力、表現する力、理解する力」だけが充分でしょうか。

 加藤陽子東大教授が福島第一原発事故の事故調査報告書を読み、「過去から学ばない失敗、繰り返すな」のタイトルの寄稿をされています(朝日新聞7月25日)。これを読んでハタと気付いたことがあります。記事の前半で、「関東大震災とその後の大火災・・実見した軍は、敵機(米国軍)による将来的な空襲を・・予見し、・・防空体制を整えた・・。だが実際は、・・六大都市の約41%が灰燼に帰した」ことなどを述べ、本来学ぶべき教訓を学ばなかった場合の結末は危ういと警鐘を鳴らしています。「読み取る力」と「行動する力(行動させる力)」が不足すると、過去の財産を活かすことが出来ないと解釈しました。

 ここからは、少し飛躍し仮説となります。最近のコミュニケーションに関する日本人の問題は、欧米人と比べ、その発信する力の弱さを問題として挙げることが多く、盛んにその弱点の克服の重要性が繰り返し報道されています。同種の民族が狭い国土に住み、以心伝心を尊ぶが故に、話さなくても判る関係が最も良いと思われています。しかし、事故調査報告書に限らず、多くの報告書が世に出ていますが、実際のところ「読み取る力」が欠け、そのことで理解が不足し、その後に続くべき「実行する力」も弱体化しているのではないかということです。すなわち、しっかりと課題・問題の内容を理解し、実現可能な計画を立て、その計画の通りに実現する力が不足していると思うのです。実は実行できないその根本原因は、発信されている内容の本質を理解できない弱い「読解力」にあるのではないかと思ったのです。実行するための「入口」が弱っているのです。

 文章を軽視する例として、品質保証マニュアルの例が挙げられます。3年毎に更新する再審査の為にアドバイスするコンサルタントによれば、行動の規範となる品質保証マニュアルが3年前に資格を授与されて以来一度も更新されないまま放置されている例が多いそうです。自らの経験でもマニュアル類をマメに参照しなくても日常業務は無難に済ませることができ、そのためか実態に合わなくなったマニュアル類も更新されないままでいました。元々日本には暗黙知の文化があり、マニュアルを読むことよりも親分の背中を見ることで学ぶことの重要性を強調されて来たからだと思います。

 最近、「TED(Technology Entertainment Design)」という短時間で良質のプレゼンをする大会が日本でも注目され、NHKでも放映されていました。プレゼンスキルの上達があれば、コミュニケーション上有用だということです。これを競うことで、短時間にプレゼン能力が向上し、結果としてコミュニケーション能力もあがるのだそうです。自からプレゼンを“デザインする”ことが重要だそうです。そのためには、内容の理解は必須ですが、更に、受信者の身に置き換える感受性も重要です。集中力も欠かせません。人間系の能力の向上が、マネジメント力と正の関連性があると云われ、今、注目されています。P2Mにも通じる内容ですので、PMAJでも調査しますが、今さらながらコミュニケーションの重要性を感じているこの頃です。

以 上
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